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相続の承認と放棄

相続紛争の予防と解決マニュアル

第1

相続法の基礎知識

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相続の承認と放棄

(1)相続の承認と放棄の意義

ア.制度の位置づけ

相続の効力は、被相続人の死亡により相続が開始した瞬間に当然に発生します【民法第882条】。したがって、相続人は相続の開始を知ったかどうかにかかわらず、原則として被相続人の権利義務を承継する地位に立ちます。ただし、相続財産には不動産や預金等の積極財産だけでなく、借入金等の消極財産も含まれます。消極財産が積極財産を上回る場合にまで一律に承継を強いるのは酷であり、また積極財産が上回る場合であっても、事情により承継を望まない相続人もあり得ます。そこで民法は、相続人に対して、自己のために生じた相続の効果を受け入れるか拒むかを選択できる制度(相続の承認・放棄)を設けています。

承認には、無条件に被相続人の権利義務を全面承継する単純承認【民法第920条】と、責任の範囲を「相続により得た積極財産の限度」に限定して相続人固有財産による責任追及を受けない限定承認【民法第922条】の二類型があります。これに対し、相続放棄【民法第939条】は、相続による権利義務の承継自体を一切拒否するものです。

実務的には、積極・消極の見込みや相続人間の協議状況に応じ、①単純承認、②限定承認(共同相続人全員で行うのが原則【民法第923条】)、③相続放棄のいずれを選ぶかを、後記の熟慮期間内に判断することになります。なお、限定承認は「プラス資産とマイナス債務の見込みが読みきれない」ケースの緩衝策として位置づけられ、放棄は「一切関与しない」選択肢と理解すると整理がしやすいでしょう。

イ.承認・放棄の熟慮期間

(ア)熟慮期間と単純承認の擬制

相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に、承認または放棄をする必要があります。この3か月を「熟慮期間」と呼びます【民法第915条1項】。熟慮期間内は、相続財産の内容(積極・消極)を調査し、選択を検討できます【民法第915条2項】。そして熟慮期間内に限定承認または放棄をしなかった場合には、単純承認したものとみなされます【民法第921条2号】。

実務補足として、消極財産の把握には、被相続人の郵便物・通帳・クレジット明細・保証状況の確認、信用情報機関の照会、金融機関・債権者への相続人からの問い合わせ等が用いられます。3か月で足りないと見込まれるときは、後記のとおり熟慮期間の伸長申立てを検討します。

(イ)起算点の考え方(判例の枠組み)

熟慮期間の起算点は「自己のために相続の開始があったことを知った時」です【民法第915条1項】。最高裁は、相続開始の原因である被相続人の死亡の事実と、自らが法律上相続人となった事実の双方を覚知した時点を原則としつつ、相続財産が存在しないと信じたことに相当な理由があるなどの特段の事情がある場合には、その原則どおりに起算するのは相当でないとして、相続財産の存在を認識した時または通常認識し得べき時から起算すると判示しています【最高裁昭和59年4月27日判決】。

たとえば、被相続人と長年疎遠で、かつ生前の生活状況から財産が全くないと信じたことに合理性がある場合などがこれに該当し得ます。相続人が複数いるときは、各相続人ごとに独自に熟慮期間が進行します【最裁 昭和51年7月1日判決】。

(ウ)数次相続・無能力者が絡む場合

相続人が承認または放棄をしないで死亡したときは、その者の相続人について、当該者が自己のために相続の開始があったことを知った時から熟慮期間が起算します【民法第916条】。これは、前の相続人の熟慮期間をそのまま承継させると、後の相続人に不当に短い期間しか残らないという不公平を避けるための調整です。

また、相続人が未成年者や成年被後見人であるときは、法定代理人が当該無能力者のために相続の開始があったことを知った時から熟慮期間が起算します【民法第917条】。相続開始時に法定代理人が不在であれば、新たに選任された法定代理人が知った時から起算します。熟慮期間中に法定代理人が死亡・解任等で交代したときも、実務では新代理人の認識時を基準として取り扱われます。

(エ)熟慮期間の伸長

熟慮期間は、利害関係人または検察官の請求により、家庭裁判所が伸長できます【民法第915条1項ただし書】【家事事件手続法第39条・別表第1の89】。利害関係人には共同相続人も含まれます。伸長が認められるかは、財産構成の複雑さ、所在地や関係資料の散在、相続人の所在、積極・消極財産の見込み、限定承認に必要な協議期間や財産目録作成の難易、照会先の回答見込みなど、具体的事情を総合的にみて判断されます。

申立ては熟慮期間内に行う必要がある点に注意してください。期間徒過後は原則として伸長できませんので、調査着手が遅れそうなときは、早めに伸長を申し立てるのが安全です。

ウ.承認・放棄の撤回・取消・無効

(ア)撤回の不可

一度行った承認または放棄は、熟慮期間内であっても撤回することはできません【民法第919条1項】。撤回を許すと、相続関係が不安定となり、利害関係人の法的地位が不当に揺らぐためです。単純承認・限定承認・放棄のいずれを選ぶにせよ、行為前に内容を再確認し、行為後の撤回を前提とした運用に期待しないことが重要です。

(イ)取消の可否

承認または放棄が、未成年者の法定代理人の同意を得ない行為であった場合、成年被後見人本人が行った場合、または詐欺・強迫によって行われた場合など、一定の取消原因があるときは取消すことができます【民法第919条2項】。取消の効果は、原則として遡及し、はじめから承認・放棄がなかったことになります(ただし、第三者の保護その他の場面では、一般原則に従った調整が必要です)。

実務上は、取消事由の立証(未成年・成年被後見人の身分関係、同意の有無、詐欺・強迫の具体的事実)と、取消意思表示の相手方・方式の整序が重要です。相手方に争いがあるときは、家事審判手続や訴訟手続での主張立証を要することがあります。

(ウ)無効に当たる場合の整理

承認・放棄の意思表示が、意思能力を欠く状態でされた場合や、方式・手続の根幹に重大な瑕疵がある場合は、無効として扱われ得ます(例:放棄をしたとされる者が相続人でなかった、代理権のない者が単独で届出した等)。無効か取消かは事案に応じて評価が分かれ得るため、実務では主位的に無効、予備的に取消を主張するなど、重ねて主張構成することが多いです。

(エ)単純承認の法定擬制との関係

熟慮期間経過により単純承認が擬制される場合【民法第921条2号】や、相続人が相続財産の全部または一部を処分したとき等に単純承認したものとみなされる場合【民法第921条1号・3号】には、後から放棄や限定承認へ切り替えることはできません。処分行為の該当性は紛争になりやすく、たとえば「通常の管理行為」か「処分」に当たるかの線引きが争われます。判断に迷う場合は、熟慮期間内に伸長申立てを行い、処分に当たらない範囲で調査・保全にとどめる対応が無難です。

(オ)関連手続の入口

相続放棄は家庭裁判所へ申述で行う必要があり、受理されると初めから相続人でなかったものと扱われます【民法第939条】【家事事件手続法第27条・別表第2の4】。限定承認は、共同相続人全員での申述が原則であり、財産目録の提出や公告・弁済の手続が続きます【民法第923条以下】。単純承認は申述を要しませんが、単純承認が擬制される行為の有無には注意が必要です【民法第921条】。

いずれの選択肢でも、相続人の立場は大きく変わります。金融機関・債権者との応対や不動産の名義、保証債務の扱い、遺産分割の前提など実務的影響が広いので、熟慮期間内に情報収集を進め、必要に応じて伸長申立てを行うという「時間管理」を意識して対応することが望まれます。

(2)単純承認

ア.意義

単純承認とは、相続人が被相続人の権利義務を無条件で全面的に承継することをいいます【民法第920条】。法律は申述の方式を定めていないため、相続人の意思が外部に表れていれば足りると解されています。もっとも、単純承認を選ぶと相続債務について相続人固有財産にも責任が及ぶため、積極・消極財産の見込みを踏まえた判断が必要です(限定承認・放棄の可否は後記熟慮期間内の選択が前提です)。

イ.法定単純承認

民法は、一定の場合には相続人の意思表示がなくても当然に単純承認の効果が生じると定めています【民法第921条】。いわゆる法定単純承認で、次の三つが典型です。

(ア)相続財産の処分【民法第921条1号】

相続人が相続財産の全部又は一部を処分したときは、単純承認したものとみなされます。ここでいう「処分」には、売却や贈与等の法律行為だけでなく、財産の現状・性質を変える事実行為(故意に破損させる等)も含まれます。一方で、社会通念上わずかな形見分けや葬儀費用の支出など、経済的価値に照らして相続財産の減少として評価しない行為は「処分」に当たらないと解されています。

処分の時期は、限定承認・放棄をする前であることが前提です。また、単純承認とみなすには、相続人が自己のために相続開始があった事実を知りながら処分したこと、少なくとも被相続人の死亡を確実に予想しながらあえて処分したことが必要とされています【最裁 昭和42年4月27日判決】。

実務補足として、日常管理の範囲(鍵の交換、腐敗物の処分、最低限の保全修繕など)は通常「処分」に当たりませんが、賃借人の敷金の返還処理や不動産の賃貸締結・解約などは評価が分かれる余地があります。判断に迷う場合は、熟慮期間内の伸長申立てを検討し、保全・調査行為にとどめるのが無難です【民法第915条1項ただし書】。

(イ)熟慮期間の徒過【民法第921条2号】

相続人が熟慮期間内に限定承認又は放棄をしなかったときは、単純承認したものとみなされます。熟慮期間は、相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月であり【民法第915条1項】、伸長が認められた場合は伸長後の期日の徒過が基準となります(伸長の可否は家庭裁判所が個別事情を踏まえ判断します)。

(ウ)限定承認・放棄後の背信行為【民法第921条3号】

相続人が限定承認又は相続放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私に消費し、又は悪意でこれを財産目録に記載しなかったときは、単純承認をしたものとみなされます。

「隠匿」とは財産の存在を容易に発見できないようにすること、「私に消費」とは相続債権者らの不利益になることを認識しながら恣意的に費消・処分することをいいます(公然となされた場合でも該当し得ます)。「悪意の不記載」とは、財産隠匿の意思をもって財産目録に記載しないことをいい、借金などの消極財産の不記載も含まれます。なお、財産目録の作成が問題となるのは限定承認の場面であり、相続放棄では目録作成義務はありません。

実務では、限定承認後の現金引き出し・特定資産の持ち出し・売却金の不記載等が紛争化しやすく、行為の性質(管理・保全か、処分か)と主観(悪意の有無)が争点となります。限定承認を選ぶ場合は、財産調査の経過・入出金の記録・目録の整合性を丁寧に残すことが予防策になります。

単純承認を選ぶと、被相続人の債務について相続人の固有財産まで責任が及びます。プラス・マイナスの見込みが不明なときは、無理に処分せず、3か月の熟慮期間内に調査を進め、必要に応じて伸長を申し立てるのが安全です。

(3)限定承認

ア.意義

限定承認とは、相続によって得た財産の限度でのみ被相続人の債務・遺贈の弁済責任を負う条件付きの承認をいいます【民法第922条】。積極財産と消極財産のどちらが多いか見通しが立たない場合に、相続人の固有財産が債務弁済に直接さらされることを避けつつ相続を引き受ける中間的な選択肢と位置付けられます。消極財産が明らかに多く、債務の承継を望まない場合には相続放棄【民法第939条】が適切ですが、資産・負債の全体像が不明なときは限定承認が合理的です。実務では、のちに判明した債務が相続財産の範囲内でのみ弁済対象となるため、債務額の“ブレ”に備える手段として利用されます。

イ.方式

(ア)限定承認の申述

限定承認をするには、相続人は熟慮期間(自己のために相続開始を知った時から3か月)内に、相続財産の目録を作成して家庭裁判所に提出し、限定承認をする旨を申述しなければなりません【民法第915条1項】【民法第924条】。方式は申述主義で、単なる口頭・私的合意では足りません。熟慮期間が不足する見込みなら、期間内に伸長の申立てを検討します【民法第915条1項ただし書】。

財産目録の様式は法定されていませんが、資産(積極)・負債(消極)を網羅し、判明しない事項は「不詳」等と明記して提出します。資産がない、または消極財産のみと見込まれる場合でも、そうした内容を記載した目録を添付すれば足ります。他方、相続人の調査にもかかわらず内容を明らかにできなかったときは、その旨を申述書に付記して足りるとした審判例があります【大阪家裁 昭和44年2月26日審判】。

(イ)申述受理と効力の及び方

限定承認は、家庭裁判所の申述受理の審判により成立します(受理に対する不服申立ては原則許されません)。限定承認をした相続人と被相続人との間の権利義務は、相殺関係などを含めて「消滅しなかったもの」とみなされます【民法第925条】。このため、相続人が被相続人に対して有していた債権も、限定承認後の清算の枠内で取り扱われます。なお、限定承認後は、清算・公告・弁済等の手続が続くのが通例であり、実務上は相続財産管理に準じた対応(債権者への通知・公告、法定の弁済順序への配慮等)が必要になります。

(ウ)共同相続の特則

相続人が数人いる場合、限定承認は共同相続人全員の共同でのみ行うことができます【民法第923条】。共同相続人の熟慮期間は各人ごとに進行するため、ある相続人に法定単純承認事由(熟慮期間徒過等【民法第921条】)が生じた場合に、他の相続人が自らの熟慮期間内であっても限定承認を選べるかが問題となりますが、他の共同相続人についてはなお全員で限定承認をし得ると解した裁判例があります【東京地裁 昭和30年5月6日判決】。

また、共同相続人の中に相続放棄をした者がいる場合、放棄者は初めから相続人でなかったものとみなされるため【民法第939条】、放棄者を除いた残りの共同相続人「全員」で限定承認をすることが可能と整理されます。実務では、相続人調査(戸籍収集)と意思統一の段取りが最重要となり、1人でも反対がいれば限定承認は成立しない点に注意が必要です。

限定承認は「リスクが読めない」場面で有効ですが、全員合意・目録作成・その後の清算手続というコストも伴います。預貯金・不動産・負債の見込み、保証債務の有無、事業性の負債などを早期に洗い出し、熟慮期間の管理(必要なら伸長申立て)をセットで検討するのが実務上の安全策です。

ウ.効果

(ア)責任の範囲

限定承認をした相続人は、相続によって得た財産の限度でのみ、被相続人の債務および遺贈の弁済責任を負います【民法第922条】。すなわち、権利義務の包括承継自体は生じますが、債務と遺贈の履行責任は「相続財産の範囲」に限定され、相続人の固有財産に直ちに執行が及ぶことはありません。したがって、相続債権者が相続人の固有財産に対して強制執行を行った場合、相続人は限定承認を根拠としてその執行排除を主張できます。

ここでいう「相続によって得た財産」とは、相続開始時に被相続人に属していた積極財産(被相続人の一身に専属するものを除く)を基礎とし、その後に当該財産から生じた果実(賃料や配当等)も相続財産として清算枠内で扱われます。

また、「被相続人の債務」とは一身専属債務を除外した承継対象の債務を指し、相続財産中に賃借権がある場合、相続開始後に新たに発生した賃料債務は相続人の固有債務として扱われることに留意します。実務上は、限定承認の届出後に判明した債務も、相続財産の範囲内で清算する構造に組み込まれます。

(イ)相続財産の管理

a.管理の基本
限定承認をした相続人は、自己の固有財産の管理と同一の注意義務をもって相続財産の管理を継続します【民法第926条1項】。管理行為は保存・利用・改良を含みますが、換価・配当の前提となるため、収支の記録化と財産目録の更新が重要です。

b.管理人選任
相続人が管理者として不適当、または管理不能の事情があるときは、家庭裁判所は利害関係人または検察官の請求により、いつでも相続財産管理人を相続人以外から選任できます【民法第926条2項】【民法第918条2項・3項】。共同相続の場合には、原則として家庭裁判所が相続人の中から相続財産管理人を選任し【民法第936条1項】、当該管理人が相続人らに代わって管理および債務弁済に必要な一切の権限を行使します【民法第936条2項】。

(ウ)相続財産の清算

相続財産をもって相続債権者および受遺者に弁済するため、限定承認には公告・弁済・換価等の清算手続が伴います【民法第927条~第937条】。実務では、以下の順で進行します。

a.催告(公告・個別通知)
限定承認の申述が受理されると、限定承認者は5日以内に、すべての相続債権者および受遺者に対し、限定承認をした旨と、一定の期間内に請求申出をすべき旨を公告します【民法第927条】。この期間は2か月未満に設定できず、受理日の翌日から起算します【民法第140条】。共同相続人につき相続財産管理人が選任されたときは、選任後10日以内に公告義務を履行します【民法第936条3項】。

公告には「期間内に申出をしないと清算から除外され得る」旨を記載しますが、限定承認者にとって「知れている債権者」は公告だけで足りず、各別の催告(個別通知)が必要です【民法第927条2項・3項】。催告・公告を怠っても限定承認の効力自体は失われませんが、その結果特定の債権者や受遺者に損害が生じた場合、限定承認者は損害賠償責任を負う可能性があります【民法第934条】。

b.弁済の時期と順序、拒絶権
公告期間満了後、限定承認者は、相続財産をもって申出債権者および知れている債権者に対し、各債権額の割合に応じて按分弁済します【民法第929条本文】。公告期間が満了するまでは、限定承認者には弁済拒絶権が認められます【民法第928条】。よって、相続債権者が確定判決等の執行力ある債務名義を有していても、公告期間中はその執行を拒絶でき、既に進行している強制執行は期間満了まで手続停止の取扱いとなります。

もっとも、留置権・先取特権・質権・抵当権など優先権を有する債権者の権利は害することができません【民法第929条ただし書】。受遺者への弁済は、相続債権者への弁済後でなければできない点にも注意します【民法第931条】。

限定承認者が公告期間前に弁済してしまった場合でも、弁済自体は当然に無効とはならず、限定承認の効力にも直ちに影響しませんが、そのために他の債権者・受遺者に損害が生じたときは、限定承認者および事情を知って弁済を受領した者が損害賠償責任を負い得ます【民法第934条】。

c.換価(競売・代替取得)
弁済のために相続財産を換価する必要がある場合、公平性確保の観点から競売によるのが原則です【民法第932条本文】。他方で、限定承認者が競売によらずに当該財産の取得を希望する場合には、家庭裁判所が選任した鑑定人の評価額に従って価額を弁済し、競売の差止めを求めることで、相続財産の全部または一部を引き取ることができます【民法第932条ただし書】。

債権者および受遺者は、自己の費用で競売手続や鑑定に参加できます【民法第933条】。なお、競売によらずに換価したとしても限定承認の効力自体は失われませんが、その方法・価格が不適切で他の利害関係人に損害を与えた場合には、前記と同様に損害賠償責任の問題が生じ得ます【民法第934条】。
実務上は、公告期間中は弁済を控え、保全・管理にとどめるのが安全です【民法第928条】。不動産の取得を希望する場合は、鑑定費用や他の利害関係人の調整を見込み、【民法第932条ただし書】に沿う手順を事前に段取りしておくと手戻りが避けられます。

(4)相続放棄

ア.意義

相続放棄とは、ある相続について「初めから相続人でなかったものとみなされる」地位を求める意思表示です【民法第939条】。相続による権利・義務の効果が自分に帰属することを全面的に拒否する行為といえます。放棄の可否に制限はなく、遺言で放棄を禁ずることもできません。道徳的評価や、相続の対象が債務のみであることの有無にかかわらず、相続人は自由に放棄できます。仮に相続債権者に不利益を与える結果となり、放棄者がその結果を認識していたとしても、放棄が直ちに無効とされるものではありません。

実務上の理解のポイントは、放棄が受理されると「相続人でなかったもの」と扱われ、以後の遺産分割や債務弁済の枠組みから完全に外れること、そして代襲相続・順位関係など相続関係全体に波及することです(例:第一順位の一部が放棄すると、残存相続人の相続分が増加するなど)。

イ.放棄の方式

(ア)家庭裁判所への申述

相続放棄は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月の熟慮期間内に、家庭裁判所へ申述して行います【民法第938条】【民法第915条1項】。調査が間に合わないおそれがあるときは、利害関係人または検察官の請求により熟慮期間の伸長が認められます【民法第915条1項ただし書】。伸長の可否・期間は事情に応じ裁判所が定めるため、希望期間と遅延理由を具体的に記載して申請するのが通常です。再伸長も理論上可能です。

限定承認と異なり、放棄に財産目録の提出義務はありません【民法第924条参照】。また、相続開始前の放棄は許されず、家庭裁判所の方式によらない第三者との合意や、共同相続人への通知だけでは放棄の効力は生じません【大審院 大正6年11月9日決定】。

手続は、被相続人の住所地または相続開始地を管轄する家庭裁判所に、申述人・被相続人の氏名・住所、続柄、相続開始を知った年月日、放棄の意思等を記載した相続放棄申述書を提出して行います(【家事事件手続規則第105条1項】)。申述できるのは相続人に限られ、未成年者や成年被後見人など意思表示能力に制限がある者の場合は、その法定代理人が申述します。先例上、胎児は出生後に初めて放棄が可能とされています。

未成年者については、親権者が本人の代理人となりますが、放棄によって他の相続人の相続分が増える関係は利益相反となり得ます。この点、最高裁は、後見人が他の共同相続人(被後見人を含む)の後見をしているケースで、後見人自身の放棄と同時または直後に被後見人全員についての放棄を行う場合には、利益相反に当たらないとする枠組みを示しています【最裁 昭和53年2月24日判決】。もっとも、親権者の場合にも原則として利益相反関係にあたると解されるため、家庭裁判所に特別代理人の選任を申し立て、特別代理人が子を代理して放棄の申述を行うのが安全です【民法第826条】。

(イ)受理の審判

放棄は、家庭裁判所の「受理の審判」により成立し、その効力は相続開始時に遡ります(遡及効)【民法第939条】。受理前であれば申述の取下げが可能です。申述者が受理審判前に死亡した場合、手続は当然終了とする見解がある一方、申述は受理まで撤回し得る点を踏まえ、相続人に手続の受継を許し真意を確認した上で受否を決する運用を肯定する見解もあります(実務上は、管轄裁判所の運用に従います)。

家庭裁判所は、形式面(相続人適格、期間内申述など)に加え、法定単純承認の有無や詐欺・強迫など取消事由の有無といった実質的要件に触れ得るかが争われてきました。裁判例は、中間的な立場を採り、申述が実質的要件を欠くことが「きわめて明白」な場合に限り却下すべきとしています【仙台高裁 平成1年9月1日決定】。

却下審判に対しては、申述人または利害関係人が即時抗告をすることができます(家事事件手続の不服申立ての一般原則に従います)。
実務上は、熟慮期間の管理と、通帳解約・資産売却など「処分」と評価され得る行為の回避が重要です【民法第921条】。連絡不能の相続人がいる場合は、早期に伸長申立てを行い、照会や郵送記録を残しておくと安全です【民法第915条1項ただし書】。

ウ.放棄の効果

相続放棄が受理されると、放棄者は当該相続について「初めから相続人でなかったもの」とみなされます【民法第939条】。したがって、遺産分割への参加権や相続債務の負担は一切生じません。例えば、相続人が配偶者と子2人のケースでは、通常は配偶者2分の1、子は各4分の1ですが、子の一人が放棄すれば、相続人は配偶者と残る子となり、それぞれ2分の1ずつに再計算されます。遡及効を伴うため、登記の有無にかかわらず、何人に対してもこの効果を主張できます。

実務上、相続開始後から放棄受理までの間に、共同相続人の一人の申請で「共同相続人全員名義」の相続登記が先にされることがあります。その後、共同相続人の一人について相続放棄が受理された場合は、その者の持分を移転(登記原因「相続の放棄」)する登記で整理します。さらに、共同相続登記の後に共同相続人全員が放棄したときは、抹消登記ではなく、次順位の相続人への所有権移転登記(登記原因「相続の放棄」)を行う扱いです。

また、放棄の結果として他の相続人が不動産の所有権を取得し、その登記を申請する場合には、家庭裁判所の相続放棄申述受理証明書の添付が必要です。本人作成の上申書や念書等では代替できません。なお、放棄は代襲相続の原因にはならず(死亡・欠格・廃除のみ)【民法第887条2項・3項】、順位や相続分の再計算で処理されます。
実務上は、放棄後の登記申請で受理証明書の添付が求められるため、あらかじめ取得しておくと手続が円滑です。共同相続登記が先行しているときは、登記原因を「相続の放棄」として持分移転(又は次順位への移転)で整理するのが通例です。