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相続の承認と放棄

相続紛争の予防と解決マニュアル

第1

相続法の基礎知識

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7

相続の承認と放棄

(1)

相続の承認と放棄の意義

(イ)
相続の効力は相続の開始と同時に法律上当然に発生します。 したがって、 相続人 は相続の開始を知ると否とに関わらず、 かつその意思を問うことなく、 被相続人の 権利義務を承継することになります。 しかし、 相続財産には、 不動産や預金などの プラスの財産(以下「積極財産」といいます。)だけでなく、 借金のようなマイナ スの財産(以下「消極財産」といいます。)もあります。 したがって、 消極財産が 積極財産を上回る場合も考えられ、 そのような場合に、 相続人にすべてを当然に承 継させるのは酷な結果といえます。 また、 たとえ積極財産の方が消極財産を上回る としても、 それを承継することを潔しとしない相続人もいるでしょう。 そこで、 わ が民法は相続の承認・放棄の制度を設けて、 相続人に自己のために生じた相続の効 果を受諾するか、 または拒否するかを選択する自由を認めたのです。 そして、 相続 の承認には、 条件をつけずに全面的に被相続人の権利義務の承継を受諾する単純承 認 (民法 920 条) と、 被相続人の消極財産は相続によって承継した積極財産を限度 としてのみ責任を負担し、 相続人の固有財産をもって責任を負担しないという限定 承認 (民法 922 条) の二つがあります。 相続放棄 (民法 939 条) とは、 相続による 権利義務の承継を一切拒否するものです。
(ロ)
承認・放棄の熟慮期間
(a)
熟慮期間の起算点
相続の承認・放棄は、 原則として、 相続人が自己のために相続の開始があった ことを知った時から3か月以内にしなければなりません (民法 915 条1項)。 こ の期間を熟慮期間といいます。 民法がこの熟慮期間を3か月と定めた理由は、 相 続関係の早期安定への配慮と相続人の利益の保護とを比較衡量した結果です。 相 続人は、 この熟慮期間内に相続財産の内容を調査して承認か放棄かの選択をする ことになります (民法915条2項)。 またこの熟慮期間内に、限定承認や相続の 放棄をしなかった場合、 、 相続人は単純承認したものとみなされます (民法 921 条2項)。
熟慮期間の起算点は 「自己のために相続の開始があったことを知った時」 です (民法 915 条 1 項)。 これをいつと考えるかは重要な問題で、 より具体的な時期については、 判例の変遷がありました。
当初の判例は、 相続開始の原因である被相続人の死亡の事実を知った時と判示していました。 その後、 判例は、 被相続人死亡の事実に加えて、 自己が法律上相 続人となったことをも覚知した時と判示するようになりました。 しかし、 実際に は、 相続人がこの二つの事実を知っていても、 被相続人との生前の交流がないた め債務の存在を知らないことが多く、 街金融業者などが熟慮期間経過後に突然、 かかる相続人に対し取立請求するとの事態が多発しました。
そこで、 最高裁判所は、 かかる事態に対処すべく 「熟慮期間は、 原則として、 相続人が前記の各事実を知った時から起算すべきものであるが、 相続人が、 右各 事実を知った場合であっても、 右各事実を知った時から3か月以内に限定承認又 は相続放棄をしなかったのが、 被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたた めであり、 かつ、 被相続人の生活歴、 被相続人と相続人との間の交際状態その他 諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著 しく困難な事情があって、 相続人において右のように信ずるについて相当な理由 があると認められるときには、 相続人が前記の各事実を知った時から熟慮期間を 起算すべきであるとすることは相当でないものというべきであり、 熟慮期間は相 続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき 時から起算すべきものと解するのが相当である。」 と判示しました (最高裁昭和 59年4月27日判決)。
この最高裁判決が判示した相当な理由にあたる事情とは、 一般的には、 相続財 産を残したとは到底考えられない状況で被相続人が死亡したことや、 相続人と被 相続人との関係が従前から疎遠であることなどにより、 相続人が相続財産の有無 や内容を認識することが難しい事情をいうと考えられています。 なお、 相続人が 数人いる場合は、 各相続人ごとに熟慮期間が進行します (最高裁昭和 51 年 7 月 1 日判決)。
そして、 相続人が相続の承認又は放棄をしないで死亡したときは、 熟慮期間は、 その者の相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時から起算され ます (民法 916 条)。 これは、 後の相続人は前の相続人が有していた相続につい て承認か放棄かの選択権を承継しますが、 その熟慮期間もそのまま承継するとしたならば、 後の相続人に極めて短い時間しか残らなくなるとの不都合が生じ、 後 の相続人に酷な事態になるからです。
また、相続人が未成年者、成年被後見人であるときは、熟慮期間は、 その法定 代理人が未成年者、成年被後見人のために相続の開始があったことを知った時か ら起算されます (民法 917 条)。
相続開始時に法定代理人がいない場合には、 熟慮期間は、 新たに選任された法 定代理人が無能力者のために相続の開始があったことを知った時から起算されま す。 また、 相続開始時には法定代理人がいたが、 熟慮期間中に、 その法定代理人 が選択権を行使しないで死亡し、 あるいは資格を失った場合も同様に考えられて います。
(b)
熟慮期間の伸長
この熟慮期間は、 利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができます (民法 915 条1項ただし書、 家事事件手続法 39 条別表 第一 89 号)。 この利害関係人には各共同相続人も含まれると考えられています。
期間の伸長は、 3か月の期間だけでは、 相続の承認・放棄の判断をするための 相続財産の調査ができない場合に認められます。 具体的には、 相続財産の構成の 複雑性、 所在地、 相続人の所在等の状況のみならず、 積極・消極財産の存在、 限 定承認するについての共同相続人全員の協議期間及び財産目録の調製期間などの 諸事情が考慮されることになります。
なお、熟慮期間伸長の申立ては熟慮期間内にしなければなりません。
(ハ)
承認・放棄の撤回・取消・無効
(a)
承認・放棄の撤回の禁止
一度行った承認及び放棄は、 熟慮期間内でも撤回することはできません (民法919 条1項)。 撤回を許容すると相続に関する法律関係を不安定にするからです。
(b)
承認・放棄の取消
承認及び放棄がなされた場合でも、 未成年者が法定代理人の同意を得ずに行っ た場合や、成年被後見人が行った場合、詐欺又は強迫によって行われた場合など、 一定の取消原因がある場合には、 これを取消すことができます (民法919条2項)。
(2)

単純承認

(イ)
意義
単純承認とは、 相続人が被相続人の権利義務を無条件に承継することをいいます (民法920条)。 単純承認の方法について法律は何も規定していないため、何らかの 形で、 相続人による単純承認の意思が表示されればよいと考えられています。
(ロ)
法定単純承認
民法は一定の事由がある場合には、 法律上当然に単純承認の効果が発生するものと定めています (民法 921 条)。 これを法定単純承認といいます。 単純承認と みなされる場合には、 相続人が、 a.相続財産の全部または一部を処分した場合 (同条1号)、 b.三か月の熟慮期間を徒過した場合 (同条2号)、 c.相続財産の 隠匿・消費などの背信行為をした場合 (同条3号) があります。
(a)
相続財産の処分 (民法 921 条1号)
相続人が相続財産の全部又は一部を処分したときは、 単純承認をしたものとみなされます。
処分の時期について、 限定承認、 放棄の前になされた処分のみが本号の処分に該当します。 処分とは、 財産の現状・性質を変える行為をいいますが、 それには 贈与や売却などの法律行為だけでなく、 故意に壊したりするような事実行為も含 みます。なお、形式的に処分にあたる場合でも、 財産の経済的価値を考慮して、 慣 習上のわずかな形見分けや、 葬儀費用の支出などは 「処分」 にはあたらないと考 えられています。
そして、 単純承認とみなされる相続財産の処分というためには、 相続人が自己 のために相続が開始した事実を知りながら相続財産を処分したか、 または少なく とも相続人が被相続人の死亡した事実を確実に予想しながらもあえてその処分を したことを要するものと考えられています (最高裁昭和 42 年 4 月 27 日判決)。
(b)
熟慮期間の徒過 (民法 921 条 2 号)
相続人が熟慮期間内に限定承認又は放棄をしなかったときには、 単純承認したものとみなされます。
熟慮期間が伸長されれば、 当然伸長された期間の徒過が基準となります。
(c)
限定承認放棄後の背信行為 (民法 921 条 3 号)
相続人が限定承認又は放棄をした後でも、 相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、 私に消費し、 又は悪意でこれを財産目録に記載しなかったときは、 単純承認 をしたものとみなされます。
「隠匿」 とは、 相続財産の存在が容易にわからないようにすることです。
「私に消費」 するとは、 相続債権者の不利益になることを認識してほしいまま に相続財産を消費ないし処分してしまうことです。 公然と行われてもこれにあた ります (消費につき正当な理由があれば、 私に消費したことになりません)。 悪 意の財産目録の不記載とは、財産隠匿の意思をもって財産目録に記載しないこと です。 借金のなどの消極財産の不記載もこれにあたります 。 財産目録の記載が 問題になるのは財産目録を調製する必要がある限定承認の場合だけで、 相続放棄 の場合は相続人に財産目録を調製する義務はありませんから問題となりません。
(3)

限定承認

(イ)
意義
限定承認とは、 相続によって得た財産の限度においてのみ、 被相続人の残した債 務及び遺贈について責任を負うという条件付きで相続を承認するというものです (民法 922 条)。
相続財産のうち消極財産が積極財産を上回っている場合には、 相続の放棄をすれ ばよいのですが、 しかし、 消極財産と積極財産のいずれが多いかが不明の場合には、 限定承認をする意味があります。
(ロ)
方式
(a)
限定承認の申述
相続人が限定承認をしようとするときは、熟慮期間内に財産目録を作成して、 これを家庭裁判所に提出し、 限定承認する旨の申述をしなければなりません (民 法 924 条)。
(b)
財産目録の作成
限定承認の申述には、 財産の範囲を明確にするため財産目録の作成・提出が必要です。 財産目録の形式、 内容は、 特に法定されていませんが、 被相続人の財産 の詳細を明らかにした財産目録を作成して提出すればよいのです。
被相続人に資産がないことが明白な場合でも、 限定承認をすることはできます が、 その場合には相続財産がない旨、 財産目録に記載すればよいのです。 被相続 人に消極財産だけがある場合には、 その旨を財産目録に記載すれば足ります。 し かし、 財産の価額まで財産目録に記載する必要はありません。 また、 相続人の調査にも関わらず、 積極財産・消極財産ともにその内容を明ら かにできなかった場合には、 限定承認申述書にその旨を付記すれば足ります (大 阪家裁昭和44年2月26日審判)。
(c)
申述受理の審判
限定承認は申述の受理の審判により成立します。
なお、 限定承認の申述受理の審判に対しては、 不服申立てはできません
(d)
共同相続の特則
相続人が数人いる場合は、 限定承認は、 共同相続人の全員の共同でなければで きないとされています (民法 923 条)。 共同相続人の熟慮期間は別々に進行しま すから、 共同相続人の一人について、 熟慮期間が徒過した場合はその者は単純承 認したものとみなされるので、 他の共同相続人は、 自分の熟慮期間内でも限定承 認ができなくなるのではないか問題になります。 この点については、 一部の相続 人について法定単純承認事由が発生しても、 他の共同相続人は、 その熟慮期間内 であれば、 なお共同相続人全員で限定承認ができるとした裁判例があります (東 京地裁昭和30年5月6日判決)。
また、共同相続人全員といってもその中に相続の放棄をした者がいる場合、 そ の者は、 その相続に関しては、 初めから相続人とならなかったものとみなされま すので (民法 939 条)、 その者以外の他の相続人全員で限定承認ができると考え られています。
(ハ)
効果
(a)
責任の範囲
限定承認をした相続人は、 相続によって得た財産の限度においてのみ、 被相続 人の残した債務及び遺贈を弁済する責任を負います (民法 922 条)。 限定承認を した相続人は、 相続の対象となる被相続人の一切の権利義務を包括承継しますが、 相続債務及び遺贈については相続財産の限度において弁済の責任を負うにとどまります。
したがって、 相続債権者が限定承認をした相続人の固有財産に対し強制執行をしてきた場合は、 相続人はその強制執行の排除を求めることができます。
「相続によって得た財産」 とは、 相続の開始当時、 被相続人に属していた財産 のうち、 被相続人の一身に専属しているものを除外する一切の積極財産をいいます。
相続開始前に被相続人から不動産を譲りうけた者、 また、 抵当権設定者などで相続開始前に登記を具備していなかった者は、 相続債権者に対してその権利取得 を対抗できませんので、 その不動産はいずれも相続財産に含まれます。
賃料等の相続財産から生じた果実や相続財産たる株式から生ずる利益配当請求 権も相続財産となるとされています (大審院大正 3 年 3 月 25 日判決、 大審院大 正4年3月8日判決)。
「被相続人の債務」 とは、 被相続人の一身に専属する債務を除外した、 相続に より包括承継される相続債務をいいます。
相続財産の中に賃借権がある場合、 相続開始後に発生した賃料債務は、 相続人 の固有債務になるとされています (大審院昭和 10 年 12 月 18 日判決)。
(b)
相続財産の管理
1)
限定承認をした相続人は、 自身の固有財産におけると同一の注意義務をもっ て相続財産の管理を継続しなければなりません (民法 926 条1項)。
相続人が管理人として不適当であるとか管理を行うことが不可能なときには、 家庭裁判所は、 何時でも利害関係人又は検察官の請求によって、 相続財産管理 人を相続人以外から選任できます (民法 926 条2項、 民法 918 条 2.3 項)。
2)
相続人が数人ある場合には、 家庭裁判所がかならず相続人の中から、 相続財 産管理人を選任しなければならないとされています (民法 936 条1項)。 責任 の所在を明確にし、 事務の進行を簡易にするためです。
この管理人は、 相続人のために、 これに代わって、 相続財産の管理及び債務 の弁済に必要な一切の権限を有します (民法 936 条2項)。
(c)
相続財産の清算
1)
催告
限定承認がなされると、 相続財産をもって相続債権者と受遺者に弁済するた め、 一種の清算手続が行われます (民法 927 条乃至 937 条)。
限定承認の申述が受理されますと、 限定承認者は、 限定承認をした後 5 日以 内に、 一切の相続債権者及び受遺者に対し、 限定承認をしたこと及び一定の期 間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければなりません。 ただし、 その 期間は2か月を下ることはできません (民法 927 条)。 この期間は限定承認申 述受理のあった日の翌日から起算されます (民法 140 条)。 そして、 相続人が 数人になるため、 相続財産管理人の選任があったときは、 管理人の選任があっ た後 10 日以内とされています (民法 936 条 3 項)。
この公告には債権者が期間内に申出をしないときは、 その債権者は清算より 除外されるべき旨を記載することが必要です。 しかし、 「知れている債権者」 を除外することはできません (民法 927 条 2 項)。 よって、 「知れている債権 者」 には、 各別にその申出を催告することが必要です (民法927条3項)。 「知 れている債権者」 とは、 限定承認者が債権者と認めている者をいいます。
この公告や催告を怠っても限定承認の効力に影響はありません。 しかし、 こ れらを怠ることにより、 一部の債権者又は受遺者に損害が生じた場合は、 限定 承認者は損害賠償の責任を負うことがあります (民法 934 条)。
2)
927 条所定の公告期間が満了した場合、 限定承認した相続人は、 相続財産を もって申出債権者と知れたる債権者に、 各々その債権額の割合に応じて弁済し なければなりません (民法 929 条)。 また、限定承認をした相続人は、 公告期間 の満了前には、 弁済を拒絶する権利が認められています (民法 928 条)。
したがって、 相続債権者が既にその債権について、 確定判決その他の債務名 義の執行力ある正本を有していても、 限定承認者はその執行を拒絶することが できます。 そして、 相続債権者としては新たに執行手続を開始できません。 既 に執行手続が開始しているときに、 限定承認をし、 債権申出期間内であるとの 書面が提出された場合は、 執行機関は、 債権申出期間が満了するまで、 執行手 続の進行を停止しなければならないとされています。
他方、 優先権を有する債権者の権利を害することはできないとされています (民法 929 条ただし書)。 したがって、 留置権者、 先取特権者、 質権者及び抵当 権者は、 債権申出期間内であっても、 その権利を行使し、 弁済を受けることが できます。
限定承認者が弁済を拒絶しないで相続債権者等に弁済をしたとしても、 その 弁済は有効であり、 限定承認の効力にも影響はありません。 しかし、 そのため、 他の相続債権者や受遺者に損害が発生した場合は、 限定承認者及び事情を知っ て弁済を受領した者に損害賠償責任が発生します。 また、 受遺者に対する弁済 は、 相続債権者に弁済した後でなければできません (民法 931 条)。
3)
競売
弁済に際し相続財産を換価する必要があるときは、 公平を期するため競売に よるのが原則です (民法 932 条本文)。 しかし、 競売によらずに相続財産を換 価したとしても、 既になされた限定承認の効力そのものには何ら影響はありま せん。 ただし、 このため、 一部の債権者又は受遺者に損害が発生したときは、 限定承認者は、 損害賠償責任を負います (民法 934 条)。
また、 競売に付することが原則ですが、 限定承認をした相続人が競売の方法 によらないで被相続人の財産の取得を希望する場合は、 家庭裁判所が選任した 鑑定人の評価に従い相続財産の全部又は一部の価額を弁済して競売を差し止め、 相続財産の全部又は一部を引き取ることができます (民法 932 条ただし書)。
相続債権者及び受遺者は自己の費用で相続財産の競売又は鑑定に参加するこ とができます (民法 933 条)。
(4)

相続放棄

(イ)
意義
相続の放棄とは、 相続人が、 自己の相続に関して、 初めから相続人とならなかっ たとみなされることを欲する意思表示です (民法 939 条)。 相続の効果が自己に帰 属することを拒否する行為だともいえます。 民法は、 相続放棄に制限を設けておら ず、 すべての相続人は自由に相続の放棄をすることができます。 相続の放棄の自由 は絶対的で、 遺言によって禁止することもできません。 道徳的観念に反していても 債務のみが相続の対象であっても相続の放棄は可能です。 相続の放棄が相続債権者に損害を加えることになり、 また、 放棄者がそれを認識し目的としたとしても放棄は無効とはなりません。
(ロ)
放棄の方式
(a)
家庭裁判所の申述
相続の放棄をしようとする者は、 3 か月間の熟慮期間中にその旨を家庭裁判所に申述しなければなりません (民法 938 条)。この期間は、利害関係人又は検察官 の請求によって、家庭裁判所において伸長することができるとされています(民 法 915 条 1 項ただし書)。相続人が海外や遠方に居住していたり、相続財産が多 種多様・多数である場合や、債務の有無や内容の調査に時間がかかる場合などに 認められ、伸長期間は家庭裁判所が裁量で定めますが、希望する期間を明示して 請求するのが通常です。再度の伸長も可能です。
限定承認の場合とちがい、 財産目録を調整する必要はありません (民法 915 条、 924 条参照)。
相続開始前の相続の放棄は認められていません。 家庭裁判所に対する申述の方 式によらず、 他人との間で放棄の合意をしたり他の共同相続人に放棄通知をする などしても無効です (大審院大正 6 年 11 月 9 日決定)。
この申述は、 相続放棄をしようとする者が、 被相続人の住所地又は相続開始地 を管轄する家庭裁判所に対し、 申述者、 被相続人の氏名・住所、 被相続人との続 柄、 相続開始があったことを知った年月日および相続を放棄する旨を記載した 「相続放棄申述書」 を提出する方法によって行います (家事事件手続規則105条1 項)。
放棄の申述ができる者は相続人です。 相続人が認知症や未成年などの理由で有 効な意思表示ができない場合は、その法定代理人がすることになります。 争いの あるところですが、 先例は、 胎児は出生後でなければ相続の放棄をすることはで きないとされています。
したがって、 相続人が未成年者の場合には親権者が本人に代わって相続放棄を することになります。 しかし、 これが利益相反行為になるか否かが問題になりま す。 この点につき、 判例の変遷がありますが、 後見人のケースについて、 最高裁 は、 共同相続人の一部の者が相続の放棄をすると、 その者は初めから相続人とならなかったものとみなされ、 結果として他の相続人の相続分が増加することにな るから、 相続の放棄をする者とこれによって相続分が増加する者とは利益が相反 する関係にあると判示し、 例外として、 共同相続人の一人が他の共同相続人の全 部又は一部の者の後見をしている場合において、 後見人が被後見人全員を代理し てする相続の放棄は、 後見人自らが相続の放棄をした後にされたか、 又はこれと 同時にされたときは、 利益相反行為にあたらないと判示しました (最高裁昭和53 年 2 月 24 日判決)。 この判例の射程は、 親権者についても同様に及ぶべきと考え られています。 したがって、このような相続放棄は、 利益相反行為に該当するも のと考えられますので、 親権者は自らが子を代理して相続放棄をすることができ ず、その子のために家庭裁判所に対し特別代理人の選任を請求する必要がありま す (民法826条)。この場合、特別代理人が子を代理して相続放棄をすることにな ります。
(b)
受理の審判
相続の放棄は、 受理の審判によって成立し、 相続開始時に遡って効力が発生します。 よって、 受理の審判がなされるまでは、 申述の取下げができます。 また受 理の審判の前に申述者が死亡した場合は、 その手続は当然に終了すると考えられ ています。 しかし申述者の死亡が 3 か月の熟慮期間を経過した後の場合には、 相 続人の承認・放棄権が死亡した相続人の相続人によって相続される場合 (再転相 続、 民法 916 条) にはあたらないと考えられていますが、 相続放棄の申述は、 受 理審判があるまでは取り下げができるとされていますので、 死亡した申述者の相 続人に手続を受継させ、 その真意を確かめたうえで、 その申述の受否を決めなけ ればならないと考えられています。
家庭裁判所は、 相続放棄の申述を審理した結果、 これを認容するのが相当であ ると判断すれば申述を受理するとの審判をし、 不相当と判断すれば申述を却下す るとの審判をします。
家庭裁判所が放棄の申述の受理の判断をする際、 申述書の記載についての形式 的審査だけでなく、 相続人による申述であること、 放棄が相続人の真意に基づく ものであること、 法定期間内の申述であること、 法定単純承認の事由がないこと などの実質的要件も審理の範囲に含まれるか否か争いがあります。 この点、 受理審判の法的性質の理解とあいまって争いのあるところですが、 判例は、 相続放棄 申述の受理審判にあたっては、 法定単純承認の有無、 詐欺その他取消原因の有無 等のいわゆる実質的要件の存否について、 申述書の内容、 申述人の審問の結果あ るいは家庭裁判所調査官による調査の結果等から、 申述の実質的要件を欠いてい ることがきわめて明白である場合に限り、 申述を却下するのが相当である (仙台 高裁平成 1 年 9 月 1 日決定) として中間的な立場に立っています。
相続放棄却下の審判に対しては、放棄者又は利害関係人は即時抗告することが できます。
(ハ)
放棄の効果
相続の放棄をした者は、 その相続に関しては、 初めから相続人とならなかったものとみなされます (民法 939 条)。 例えば相続人が子二人と配偶者の場合、 法定相 続分は子が各自四分の一、 配偶者が二分の一ですが、 子の一人が相続を放棄したな らば、 子一人と配偶者が相続人となり、 それぞれ法定相続分は二分の一となります。 相続放棄の効果は絶対的であり、 相続放棄者は相続開始時に遡って相続しなかった ことになり、 登記の有無を問わず、 何人に対してもその効力を主張できます。
相続開始後、 相続放棄の申述の受理までの間に、 共同相続人の1人の申請により 共同相続人全員のために相続登記がされる場合があります。 このような場合におい て、 その後共同相続人中の1人の相続放棄の申述が受理されたときは、 持分の移転 の登記をすべきとされています。 また、 共同相続登記後に共同相続人全員が放棄し たときは、 抹消の登記をするのではなく、 第2順位の相続人のために所有権移転登 記をすることとされています。 いずれも登記原因は 「相続の放棄」 とされています。
共同相続人中の一部の者が相続放棄をした結果、 他の相続人が不動産所有権を取 得し、 その登記をする場合、 必ず家庭裁判所の相続放棄申述受理証明書を添付する 必要があります。 それ以外の書面はたとえ本人が作成した書面であっても、 認めら れていません。